お盆休み4日目、渡辺さんから貰った風邪もようやく治り、清々しい朝を迎えリビングに行くと1冊の御朱印帳が私の目に写る。
すっかり忘れていた。御朱印帳を手に入れた事を!
好みの御朱印帳を買って、満足してしまっていた。
私が、御朱印を知ったのは随分昔の事だった。
元々、城や寺社が好きであった私は御朱印集めをしようと思い、好みの御朱印帳を探した。
しかし、なかなか私のイメージする御朱印帳は見つからなかった。
探しているうちに、御朱印集めはブームになっていた。
そのおかげで、御朱印帳の種類も増える。
ようやく、私の気に入った御朱印帳を手に入れた時、10年以上の月日が経っていた。周囲は御朱印集めに躍起になっていた。あの伝説の走り屋池田サンさえも、所構わず御朱印集めをしていた。
私は、私の気に入った寺社の御朱印のみを集めようと思い、その旨を池田サンに伝える。
私は、躍起に御朱印集めしている池田サンにガッカリした。御朱印&御朱印帳の意味を全然理解していなかったからである。
池田サンは、ただ集めていただけだったのだ。まるで、スタンプラリーの要領で!
私は思わず、
「浅いなぁ〜」
と声に出してしまう。
何故、御朱印なるモノが存在するのか?知りたいとは思わないのか?ネットという便利なツールがあるにもかかわらず。調べようとすれば、直ぐ分かる事なのに!
様々な意味や言伝えがあるが、私が信じたいと思う御朱印の意味&用途は、御朱印は参拝した証のようなモノ。御朱印帳は、自分が死んだ時棺桶に入れて貰う事で、あの世から自分が参拝した寺社の神様や仏様が迎えに来て頂けるという事。
私は失礼かもしれないが、なんてロマンチックな言伝えなのだろうと思ってしまった。
私は、この話を池田サンにしてあげた。
別に池田サンが悪い訳ではない。時代が変わったのだ。私や池田さんが教育を受けていた時代は、まだネットが無く社会からは、広く浅い知識を求められた。故に教育も、答えを求めるモノであった。しかし、ネットが普及した為ある程度の問題はネットが答えてくれる。これからは、問題を発見する又は問題を作る能力が社会から求められるようになると私は思う。もしくは、ネットにも出て来ないようなコアな知識。私は、日本の教育に不安を隠せない。
池田サン、そんな事では令和で生き残れないゾ!
話は外れたが、御朱印第1号は決めていた。
それは、私の厄を毎年祓ってくれている井伊谷宮である。
私は御朱印を授かりに行く時は、寺社の空いている時に参拝するようにしている。考え方は様々であるが、平成から令和にかけて寺社に長蛇の列。あの中で、私の願いが神様や仏様に届くような気がまるでしない。私の浅はかな想像力かもしれないが。
お昼過ぎに井伊谷宮へ向かう。私は単車で行くか86で行くか悩んだが、単車で行っては干からびそうなので86を選択した。オイル交換をしてから86に乗るのが、楽しくて仕方がない。
流石にお盆。何処の道を選択しても混んでいる。私の中で不安が過る。まさか、井伊谷宮も混んでいるのではないか?しかし井伊谷宮は、私の想像力を遥かに凌ぐ。井伊谷宮の駐車場は、ガラガラだった。
私は参拝を終え、御朱印を授かりに行く。
直ぐに御朱印は出来上がる。完璧主義者の私は、もう少し丁寧に書いていただきたかった。