私の86感

86のある暮らし

走行税?

最近、走行税という言葉をよく目にするようになった。ネットで色々と検索してみると、様々な人が様々な角度から物事を見て、様々な意見がある。

私は、尊敬する長谷川君からこんな事を話してくれた事がある。

「活字のマジック的なトコがあるが、ネットに書かれてる事は全て正しいとは限らない。」

確かに、その通りだと私は思う。

知らない人に話されても防衛本能が働き警戒するが、ネットだけでなく雑誌や新聞・本等、良く知らない人が書いたモノには、あまり防衛本能は働かない。私は、活字にも防衛本能を働かせるよう意識している。

そんな私は、走行税なるモノは理に適っていると思う。ただ、その前に自動車や単車にかかる税金、燃料にかかる税金を整理する必要があると思う。

自動車や単車に関係する税金が、あまりにも多過ぎる気がする。

ただそのまま課税では、若者の車離れ・運送業の値上がり=物価の値上がり・旅行会社の値上がり・ドライブやツーリングを楽しむ人達の減少等、様々な不安が募るばかりである。

私よりも、遥かに頭の良い人達や多くの知識を持つ人達によって話し合い、より良い税金のとり方を考えて欲しい。

よく海外ではこうだから、日本もこうするべきだと語る人達もいるが、海外と日本では全く同じでは無いはず。海外の良いところを、日本に合わせたモノに作り変えて、法律なるモノを作って欲しいと切に願う。

現在、ハイブリッド車やこれから普及していくであろう電気自動車・カーシェア等に対して、今までの税金のとり方では税収が減るだう。それらを補う税。

走行税、道路を使った分税金を納める。とても良い考えだと思う。では、燃料にかかる税金、自動車や単車にかかる税金はどうするのか?政治家の皆さんには、よく考えて貰いたい。

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今年も行けなかった86STYLE

私が86に乗り出して2年と5ヶ月が経つが、1度も86STYLEに行けていない。

私は元々、群れるのが好きではないし安っぽい仲間意識は嫌いだ。

それでも昔は、情報収集やNOと言えない上下関係の為、単車関係のミーティングに参加していた。

しかし、技術の進歩ネットの普及により情報収集するのに困らなくなり、私の成長により先輩にNOと言えるようになった今、ミーティングに魅力を感じ無い。

しかし最近、様々な勉強をしているうちに、こういったミーティングを利用して、職場の同僚と仲を深めようと考える私が居る。

この様な卑しい考えを持つ私を観て、1番多感な時期だった14歳の時の私はどう思うだろうか?

私は常に、14歳の頃の私が観たらどう思うだろうか?を気にして行動して来た。若かりし頃の私をガッカリさせたくはない。

結果、今年も86STYLEに行けなかった。

86STYLEをネットで検索すると、皆楽しそうだ。

とても、羨ましく思う。私もいつかは、参加して心から楽しみたいと思うが、意外といつかはやって来ない事を知っている。

いつから私は、群れる事を嫌うようになったのだろうか?

きっと、小学生の頃に読んだぶっちぎりという漫画の影響だと思う。

主人公の高原陣の口癖だった。

「群なしてるからって、いい気になるなよ!」

と言うセリフに衝撃を受けた事を、今でも覚えている。

しかし、日本は多数決の国。個では、限界がある。

少なくとも良いから、親友と呼べる信頼できる仲間と人生を歩んで行きたいと思う。

そして来年こそは、86STYLEにも参加してみたいと思うが、不安が過ぎる。来年も私は、86を所有しているだろうか?疑問が残る。最近発売されたスープラに、私の浮気心を擽ぐられる。まだ実物を拝見した事は無いが、とても魅力的だ。

しかし、そんな話をしていて86に拗ねられては困るので、今日はこれぐらいにしておこう。

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行き忘れていた岐阜。

嫁の仕事が忙しくなかなか休みが取れない為、旅行はどうしても近場になってしまう。

今回は、嫁の1番下の妹の結婚式で3連休が取れた。

今回の旅行も近場で探していると、フッと気付く。

岐阜県は、何度も通り過ぎたが泊まった事は無かった。

私は嫁に、

「そうだ。岐阜に行こう!」

すると嫁は、

「岐阜に何があるの?」

と聞き返す始末。

全く、ヤレヤレだぜ。

私は、

岐阜城に行くぞ!」

しかし、嫁は学習していた。

荷物に、運動靴を入れていた。

義理の妹の結婚式も無事終わり、翌朝岐阜へ出発しようかと思っていると嫁が騒ぎ出す。

「靴が無い。運動靴が!」

嫁は、私を退屈させない。

結局、運動靴は見つからず、そのまま岐阜へ向かう事に。

岐阜までの道のりは空いていて、とても気分良くドライブを楽しむ事ができた。

今回の宿は、十八楼だ。

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宿の従業員は、とても素晴らしい接客だった。

チェックインまでかなり時間があったのだが、先に86を駐車させてくれたのは、本当にありがたかった。

チェックインまで、宿周辺を散策する。

まずは腹拵えだ。

吉照庵という蕎麦屋に入った。

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大海老天蕎麦を注文する。

現れた大海老天蕎麦の海老が大き過ぎて驚いていると、嫁も同じリアクションをとっていた。

嫁は、海老の天ぷらが大好物である。

私は、岐阜に来て良かったと思う。

腹拵えが終わり、今回のメインイベントである岐阜城へ向かう。

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ロープウェイ乗り場までは難無く着いたが、悲劇はロープウェイから降りた所から始まる。

ロープウェイを降りたら岐阜城だと勝手に思っていたが、ロープウェイから降りても岐阜城が見えない。

私は嫁に、

「険しい道のりになりそうだ。」

と告げると、嫁の顔に悲壮感が漂う。

2人は無言で、只々登り続けた。

見上げると、ようやく天守閣が小さく聳え立つ。

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「後少しだ!」

嫁に、檄を飛ばす。

天守閣に着く頃には、私と嫁は汗ダクだった。

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天守閣の中は、斉藤道三&織田信長で溢れていた。

私は、この両者が大好きである。

何故なら、両者共に成り上がりだからだ。

私も、2人に続いて成り上がろうと心に誓う。

岐阜城を後にすると、岐阜市歴史博物館なるモノを発見。

私は迷う事なく、岐阜市歴史博物館に寄る事にする。

名の通り、岐阜の歴史を垣間見る事ができた。

そして、宿へ。

チェックインして、中居さんに部屋へ案内してもらう。

部屋の窓を眺め中居さんに、

「ココから、鵜飼が観られるのですか?」

と尋ねると、観られないと返答された。

う〜む。ネットでは、如何にも部屋から観られるカンジだったが、私の思い違いだったか?

早速、私の1番の楽しみの部屋の中にある風呂に入る。

私は、過去の旅行にて大浴場に入っていると、先輩が目の前に入って来て

「俺、水虫なんだよね。」

と言われ返答に困った事があった。

それ以来、大浴場に入れなくなってしまった。

部屋の風呂は、自宅の風呂より狭くガッカリだ。足が伸ばせない苦痛を味わう。

気を取り直して、夕食を頼む。

夕食は、別館だった。

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コース料理で、とても量が多い。

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特に、鱧のお吸い物は絶品だった。

お目当てのA5ランクの飛騨牛は、薄くスライスされたモノが3キレだけだった。

どうにもこうにも、今日は裏目に出てしまう。

食事が終わる頃、嫁は赤ワインのボトルを2本程空ける。相変わらずの強者だ。頼もしいなっ!

別館を出て城下町を散策しながら、鵜飼を観に川沿いへ。しかし、船に明かりが灯っているモノの暗くてよく分からない。

両親と会社に土産を買って帰ろうと思い、お土産屋へ。これといって目ぼしいモノも無く、店主の言われるがまま買い物を済ませる。

そして、部屋へ戻るも疲れが出たのか爆睡してしまった。

翌朝、朝食をとり帰路に着く。

まぁ、岐阜の街は空いていたし宿の接客は申し分無かった為、のんびり過ごせる事ができた。

来年はきっと来客が多く、賑わうだろうと思う。何故ならば、来年の大河ドラマは、明智光秀だからだ。私は少し時代を先取りした気がする。

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鈴木家最後の結婚式

嫁の1番下の妹の結婚式の為、朝も早から長野県飯田市へ。

嫁は何をトチ狂ったか、私の実家で着付けをすると言い出した。

私の母親は、私が生まれついた時には既に美容師だった。着付けは、お手の物である。

が、結婚式は朝9時から逆算すると深夜3時起床。

朝9時からの結婚式も驚きではあるが、早朝4時から70近くになる私の母親に着付けをさせる嫁もクレイジーだと私は思った。

母親の頑張りもあり、実家を朝5時に出発する事が出来た。

私と嫁は母親に御礼を言い、86に乗り込む。

飯田市までのルートは、国道151号線を選択した。

朝早いせいか道は空いており、アッと言う間に嫁の実家に着く。

私はこのドライブ中、軽い殺意を抱く。

助手席の嫁が爆睡するのはまだ許せるが、運転席側に倒れかかってきてうまく運転できない。

悪意に満ち溢れてる嫁の行為に、運転中の私は不貞腐れる事ぐらいしかできなかった。

それでも、私の決死のドライビングテクニックにより、結婚式1時間前には嫁の実家に着いていた。

86を嫁の実家に置き、タクシーを呼び結婚式場へ向かう。

どうにかこうにか、結婚式には間に合った。

結婚式は、人前式だった。

最近、英会話の塾に入塾したばかりの私は、私の隣で歌う外国人の口元が気になり、式が入ってこない。

披露宴では、寝不足のせいかお酒が進まない。

が、宴が終わる頃にはしっかり酔っていた。

夜は、義理の両親&次女夫婦と焼肉を食べに行く事になっていた。

私は、その後元親族のユッキーと呑みに行く約束をしていた為、焼肉屋幸では一滴もお酒を呑む事は無かった。

この幸と言う店は、飯田市で1番のお気に入りの焼肉屋だ。ココの焼肉屋のママは、愛想がとても良い。

長生きして欲しいと、心から願う。

そして、鈴木家までユッキーは迎えに来てくれた。

ユッキーの行き着けのスナックへ、誘われる。

新郎新婦には申し訳ないが、ユッキーと呑む酒がこの日1番美味かった。ユッキー、今日はありがとう。と心から思う。

さぁ、明日は嫁と岐阜城だ。f:id:hide0406:20190625204721j:image

 

 

豪雨の中

久しぶりの月火連休、以前から森さんと呑みに行く約束をしていた。

何回目だろうか?沼津で森さんと呑むのは。

そろそろ私も、常連と呼ばれる頃だろうか?

月曜日の、お昼過ぎに家を出れるよう準備する。

最近休みの日も、何かといそがしい。

準備を終え86に乗り込もうと玄関のドアを開けると、滝のように雨が降り注ぐ。

私は思わず

「えっ!」

と玄関のドアを閉めてしまう。

行きたくない!

何かと雨は、危険が増す。

以前も述べたように、私はタイヤもアスファルトも全く信用していない。

路面が雨で濡れることで、不安が増す。

しかし、森さんとの約束を守る為、意を決し86に乗り込む。

セブンイレブンに寄り、モンスターと煙草を2箱購入する。

最近、私はこの行動をルーティンになってきている。

そして、三方原のスマートインターへ向かう。

私は、今回の無事を祈り御呪いをする。

高速道路に乗ると、視界は雨でとても見にくい。

ヤレヤレだぜ。

私は、法定速度以下でクルージングする。

たまに、水溜りにハンドルを取られる。

私は、この感覚がとても嫌いである。正直ドキドキしてしまう。何処かへ、ぶつけてしまうのではないかと。

静岡も抜ける頃、ようやく雨は小降りになる。

しかし、雨はいつも西から東へというイメージがある。

という事は、東へ進んでいる私はこれから雨が酷くなるのかと思うと憂鬱になる。

雨が小降りになったとは言え、水溜りはまだ存在する。油断していると、水溜りにハンドルを取られる。気が抜けないクルージングが、まだまだ続く。

いつも沼津のインターチェンジで降りる私は、たまには愛鷹のスマートインターで降りてみようと思う。愛鷹のスマートインターを降りると、ソコは山道だった。私は、すっかりその事を忘れてしまっていた。山道も、危険がいっぱいな気がする私は、のんびり86を運転する。

リコー通りに入ると、私は安堵に着く。

ようやく、宿に有り付ける。

14時を指していた時計の針は、15時半を指していた。

フロントへ行くと、知らない従業員が受け付けをしていた。ホテルの従業員も、なかなか長続きしないのか?と私は思ってしまう。

私は受付を済ませ、部屋で一服する。

そして、沼津の夜の街に消えて行った。

翌朝、昨日とは打って変わり晴天だった。

私は普段朝食を摂らないが、このホテルの朝食は摂るようにしている。

たまに、カレーがメニューに加わる時がある。カレーが朝から食べられるのは、私のネットワークの中では、この宿だけである。

しかし、今回のメニューにカレーは無かった。

気持ちを切り替えて、宿を後にする。

愛鷹のスマートインターの山道も、昨日とは違い私を歓迎しているようだ。

東名高速道路に出る頃には、時計の針は10時を指していた。

私は、安全運転に努めた。

自宅に着く頃には、雲行きが怪しくなっていた。

束の間の晴天の中、無事帰って来れた事に感謝した。f:id:hide0406:20190616230612j:image

 

スタビライザーセット?

私は、臆病だ。

カーブを曲がる時、毎回いつリヤが滑るのかドキドキしている。

そんな話を、伝説の走り屋池田さんと談義していると、スタビライザーを変えてみてはどうか?と。

カーブを曲がる時、踏ん張りが効くという。

私は、早速内山に連絡する。

彼は忙しいらしく、軽く3週間待たされる。

いい加減、この店を卒業したいのだが。商売柄、なかなかそうはいかない。全くどうしたモノか?

等と悩んでいると、内山から電話が鳴る。

私は、予定が早まったのかと電話に出る。

「モリヤスが警察に捕まりましたが、ニュース観ましたか?」

私は、仕事をしているのでテレビなど見る余裕が無い。

モリヤスとは、私が兄と慕う守安誠が経営するバイク屋である。 

彼は、私の6割の人格を作ったと言っても過言ではない。私にとっては、素晴らしい人間である。

私は次に彼と会うのが、とても楽しみである。

どうやってこの苦難を乗り切るのかが。

しかし、そんな連絡をしてくる内山に私は

「お前、仕事してるのか?どんだけ暇してるんだ?」

等と、話しているうちにTRDのスタビライザーセットを取り付ける日がやってきた。

今回の代車は、水色のアクアだった。

まだ、内山が新車で購入したプラドは解禁ではないらしい。

作業は1日で終わり翌日、早速通勤にて86に乗るも行きも帰りも前方に車両が走行していて、思うように走れない。

私は、焦る心を押し殺して安全運転に努める。

2日目、ようやくその機会は訪れた。

高速走行で、カーブに入る。

コーナーリング中、86がとても安定している。

私は、もっと早く走れると確信した。

素晴らしいパーツを、手に入れたらしい。

と、伝説の走り屋池田さんに若干興奮気味に話しをすると、とても興味深く聞いていた。

スタビライザーセットをあんなに薦めていた池田さんは、今までこのパーツを取り付けた事が無かったらしい。

私は、オイオイ!っと思わず心の声が漏れた。

池田さんも、そろそろコチラ側へカムバックするか悩んでるらしい。

私は、彼の乗る86と一緒に走れる日をとても楽しみにしている。

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ロックオンされた86

週末、仕事も終わり帰路に着いていた。

残業も無く明るい為か、私はスピードも出さず一般車線を走っていた。

掛川インターチェンジから、パトカーが現れた。

私は、空かさずパトカーに前を譲った。

つまらぬ事で、ゴールド免許を失いたく無い為だ。

しばらくパトカーの後を、距離をとって走行する。

パトカーは、一般車線と追越車線を行ったり来たりしている。

私には、誘っているように思えてならなかった。

しかし私は、そんな誘いには応ぜず安全運転に心がける。

そんな事に気付かぬ後方の、見知らぬ86は私の86を煽る。

私は、後方の86は捕まってしまえばいいのに。等と思ってしまう。

前方のパトカーは、私をパトカーの前に出したい雰囲気だった。

のらりくらり、私の86の前を走行する。

私は、意地を張らず一般車線へ86を移す。

すると、後方の86はパトカーに気付きかなりスピードダウンする。

そんなパトカーも、袋井のインターチェンジで降りる。

私は、頭の中で色々考察する。

その時、私の後方を走る86は猛スピードで私を追い抜いて行った。

が、パトカーにテンションダウンさせられた私は、追いかける気にはならなかった。

私も、日和ったかなっ。同車種に抜かれても、イラッとしないなんて。

歳月は人を変えるとは、良く言ったモノだ。

しかし、掛川から乗って袋井で降りたパトカーが気になる。

パトカーの運転手とは、何度も目が合いコチラを警戒しているように思えた。私は、マークされているのだろうか?それとも、私の被害妄想なのか?疑問が残る。

暫くは、大人しくしていた方が良さそうである。

また、パトカーに停車を求められては難儀な話である。

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